2008年07月09日

年中行事[初午]

日本の年中行事初午


初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。稲荷社の縁日で、雑節の一つとすることがある。全国で稲荷神|稲荷社の本社である京都の伏見稲荷神社の神が降りた日が和銅4年のこの日であったとされ、全国で稲荷社を祀る。この日を蚕やウシ|牛・ウマ|馬の祭日とする風習もある。江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した。本来は旧暦二月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。
また今では二月最初の午の日とされるが、古来は、立春以降の最初の午の日に行われていた。2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある初午は、その年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたものである。4月初めの巳の日の菜の花祭りの夜と初午のいづれかに雨が降らないと火に祟られるとか、初午の早い年は火事が多いとかいう俗信もある。
初午の日に、消防団員が各家庭を回って火の用心を呼びかけ、火の用心のお札を配ると同時に消防団の運営資金の寄付金を募る習慣がある地方もある。




関連項目


  • 地口行灯 地方により初午に行われる。

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    2008年07月08日

    年中行事[天神祭]

    日本の年中行事天神祭


    天神祭(てんじんまつり、てんじんさい)は、全国の天満宮及び、天神社で催される祭|祭り。祭神の菅原道真の命日にちなんだ縁日で、25日前後に行われる。一年のうち1月の初天神祭など、ある月に盛大に行われることがある。各神社で行われる天神祭の中では、大阪天満宮を中心として大阪市で行われる天神祭が有名である。以下より大阪天神祭のことについて記述する。
    日本三大一覧#三大祭|日本三大祭(他は、京都の祇園祭、東京の神田祭)の一つ。また、四天王寺別院の勝鬘院愛染堂の愛染祭、住吉大社の住吉祭と共に大阪三大夏祭りの一つ。期間は6月下旬吉日〜7月25日の約1ヶ月間に渡り諸行事が行われる。特に、25日の本宮の夜は、大川(旧淀川)に多くの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)が行われ、奉納花火があがる。大川に映る篝火や提灯灯り、花火などの華麗な姿より火と水の祭典とも呼ばれている。他に鉾流神事(ほこながししんじ)、陸渡御(りくとぎょ)などの神事が行われる。24日宵宮、25日本宮。



    歴史

    天神祭は大阪天満宮が鎮座した2年後の天暦5年(951年)6月1日より始まったとされている。この時の祭事は大川より神鉾を流して、流れ着いた場所に祭場を設けて、その祭場で禊払いを行うというものであった。これが鉾流神事の元となり、その祭場に船で奉迎したことが船渡御の起源となっていると伝えられている。天神祭は続いてきたが、日本三大祭の一つと呼ばれるようになるのは江戸時代からである。安土桃山時代に豊臣秀吉より催太鼓を拝領する。寛永末期に祭場(御旅所)を雑喉場(ざこば)に定めたため鉾流神事が取りやめられる。このころ陸渡御の起源となる地車が登場する。慶安2年にでたお触書によると、多くの地車が争って宮入しようとするため順番を決めさせたとある。寛文末期に御旅所が戎島に移転。元禄時代になると御迎人形と呼ばれる2メートルほどの人形を船の穂先に高く飾り付けるようになる。またこの頃より講が形成され日本三大祭りとして呼ばれるようになる。この頃の天神祭の壮大さは『東海道中膝栗毛』や『世間胸算用』の中に見ることが出来る。慶応元年、将軍徳川家茂が幕長戦争|長州征伐のため大阪城に入城したため、天神祭は中止される。この年以降、維新の騒乱により明治4年に復活するまで中止された。明治7年に船渡御が中止され、本社営繕やコレラの流行のため明治14年に復活するまで再び中止された(陸渡御のみ行っていた年もある)。それ以外でも明治天皇の崩御や大川の水位が上昇したためなど度々中止されることもあった。昭和5年に食満南北(けまなんぼく)の提言により鉾流神事が復活。昭和13年から昭和23年まで日中戦争、第二次世界大戦の影響により船渡御や祭事そのものが中止された。昭和24年に船渡御が復活するが地盤沈下の影響で船が橋の下をくぐり御旅所に到着することが困難になったため再び中止され、昭和28年に上流に遡る形になる。昭和49年オイルショックの影響で船渡御が中止される。昭和56年にギャルみぁ 3$7$,CB@8!#J?@.3年より水都祭と天神祭奉納花火が合同で行わる。平成6年にブリスベンで天神祭斎行される。平成17年、ギャルみこし誕生25周年イベントが行われた。平成9年は台風の影響で、本宮が縮小され、平成12年は7月25日が香淳皇后の斂葬の儀の為、本宮が休みとなり翌日の7月26日に振り替えで本宮が開催された。



    日程


  • 6月下旬吉日:装束賜式

  • 7月24日:宵宮

  • 7月25日:本宮、船渡御



    各種行事

    時間、祭事、催事は平成18年の行程を参考。


    [ 装束賜式 (6月下旬吉日)]

    平成18年度諸役(神童、随身、牛曳童児、猿田彦)の装束賜式{しょうぞくたばりしき}(任命式)が、6月25日11時45分より行われた。
    まず、宮司より辞令が渡され、諸役を務める心構えなどが話される。
    この日より、諸役は斎戒と言って祭りまで慎むことやしてはならないことがお宮から言い渡される。
    たとえば、一、葬儀に参列すること。一、喧嘩、もめ事などの争いごと。一、その他不浄に関与すること、等。その後、諸役の衣装をつけ、本殿で報告祭を執り行う。



    [ 宵宮(7月24日) ]

    ・ 4:00 - 打ち出し
    催太鼓の一番太鼓と、続いてだんじり囃子の一番鉦が祭の開始を告げる。大門開門。; 7:45 - 宵宮祭
    本殿において人々の無病息災と鉾流神事の無事が祈願される。; 8:50 - 鉾流神事
    神鉾講より推挙された大阪市立西天満小学校の6年生の男子の神童によって鉾流橋の水上より鉾を流す。元々は上記のように鉾が流れ着いた場所を御旅所と定めて祭礼を行ったが、御旅所が固定されてからはその役目は担っていない。鉾流神事が終わると氏地巡行まで正式な祭事はないが、各場所でいろいろな催事が執り行われている。下記に記述。; 16:00 - 氏地巡行
    まず、催太鼓による「からうす」がおこなわれ、その後催し太鼓と獅子舞が氏地を巡行する。


    [ 本宮(7月25日) ]

    この日はテレビ大阪にて生放送される。; 14:00 - 夏大祭
    氏地、氏子の平安を祈り、神霊移御祭で御霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す。; 16:00 - 陸渡御
    祭のメインイベントの一つ。船渡御の乗船場までの約4キロを約3000人が渡御する。行列は先頭が催し太鼓で、続いて猿田彦や采女(うねめ)、花傘、猩猩|猩々の人形を乗せた山車、牛曳童児などの第一陣、御羽車や神霊を移した御鳳輦のある第二陣、玉神輿と鳳神輿の第三陣によって構成される。; 18:00 - 船渡御
    陸渡御につづいてメインイベントの一つ。船は4種類に分けれられ、御神霊をのせた御鳳輦奉安船、催太鼓船や地車囃子船など神に仕える講社の供奉船、協賛団体や市民船などの神をお迎えする奉拝船、どんどこ船や御迎人形船、落語船など祭を盛り上げるため自由に航行できる列外船がある。奉安船や供奉船が天神橋 (大阪府)|天神橋のたもとから出航して大川を遡り、反転して下る。協賛団体による奉拝船は飛翔橋より下り、天神橋で反転し遡る。船同士が行き交う時には天神祭#大阪締め(手打ち)|大阪締めが交換されるが、御鳳輦奉安船が通過するときは沈黙するのがならわしである。他に舞台船や篝船などもあるが、渡御せずに定着して神楽等を奉納する。御神霊を乗せた御鳳輦奉安船を見下ろすことがないように、御鳳輦奉安船の通過する橋の中央には正中の覆いがされる。渡御の渡中、御鳳輦船では水上祭が斎行される。定着している舞台船や供奉船から神楽や囃子が奉納される。この頃から花火講によって奉納花火が打ち上げられて祭は最大に盛り上がる。; 22:00 - 機 \F~$j!&4T8f:W
    渡御が終わった一団が天満宮に戻り、催太鼓と共に大阪締めを行う。獅子舞が四方清めと本殿へ走りこみ、その後還御祭が本殿で斎行されて祭りは終わる。----
    神事として祭のスケジュールには含まれていないが境内では地車囃子や龍踊りが奉納されたり、お迎え人形が展示されたりしている。境外でも下記のような催事が執り行われている。; ギャルみこし
    7月23日に16〜28歳の女性が担ぐ神輿巡行。主催は天神橋筋商店会。選考がユニークで米俵を持ち上げる選考とかくし芸などのPR選考によって選出される。
    ギャルみこしは、祭の渡御列(本隊)には参加しない。; 自動車渡御
    宵宮の10:00頃から市内をトラックによってパレードを行う。トラックには子供神輿や地車囃子などが乗り込む。; 町内神輿宮入り
    氏地の各町内の神輿が境内に宮入を行う。; ドラゴンボート国際選手権
    昭和63年から奉納イベントの一環として行われているドラゴンボートレース。
    サンケイスポーツ主催。



    天神祭に参加するには

    天神祭に参加するためには基本的に講に所属しなければならない。天神祭はあくまで大阪天満宮の氏子による祭事であるためである。しかしながら、講の条件は厳しくなく、大阪天満ライオンズクラブ奉仕講など新しい講も認められている。また、講の人員不足のためアルバイトやボランティアといった形で参加することもできる。他には市民奉拝船が公募に応募したり、帝国ホテルの奉拝船のチケットを購入して船渡御に参加する手段もある。



    用語




    [ 講 ]

    天神祭には講または講社と呼ばれる団体があり、この講が天神祭を支える大きな役割となっている。講の起源は詳しく明らかになっていないが、古い講は江戸時代よりあったと言われてる。元々講とは同じ志を持った集団であり、天神祭に奉仕するために、商人の町であった特徴上、米問屋や八百屋など各同業団体などで集まってできた。
    基本的に天神祭に参加するには、講に所属でなければならず、大阪天満宮の講をまとめる大阪天満宮講社連合会があり、天神祭の基本的なことはこの会で決められる。
    主な講社は、催太鼓の太鼓中(たいこなか)、天神祭で渡御列でご神体をお乗せする御鳳輦講(ごほうれんこう)、鳳神輿の菅南連合鳳神輿講、玉神輿の中央市場玉神輿講、だんじり囃子の地車講(ぢぐるまこう)、獅子舞の天神講、牛曳童児の福梅講、米穀商の御錦蓋講(おきんがいこう)、御神酒講、花商組合の榊講、船渡御の船を世話する御船講(おふねこう)、どんどこ船のどんどこ船講、出版業界の御文庫講、丑日講、天神橋商店街の御羽車講(おはぐるまこう)[この講の23日の御羽車巡行にあわせてギャルみこしが行われている。]、など現存する講社は32団体である。
    講によって太鼓中は催太鼓、地車講は境内でのだんじり囃子の演奏、踊りを奉納するなどと役割が決まっている。
    しかしながら上記でも述べたが、講を構成する人員も年々減少しているため、アルバイトやボランティアなどの参加が増加している。とりわけボランティアはダストバスターズと呼ばれる清掃ボランティアが活躍している。


    [ 催太鼓 ]

    天神祭の陸渡御の先頭を切る大太鼓で六人一組で三人ずつで太鼓を挟んで叩く。叩き手は「願人(がんじ)」と呼ばれ、特徴としては長い赤い布が垂れ下がった投げ頭巾と呼ばれる烏帽子に似た帽子をかぶり背中に背ブチと呼ばれる木の棒を背負おっている。願人が打つ太鼓を担ぐ人を「舁ぎ方(かつぎかた)」と言い、舁ぎ方を三年以上経験しなければ花形である願人にはなれない。後、舁ぎ方と願人を統率する「采頭(ざいがしら)」と「采方(ざいかた)」がいる。太鼓の演奏法は独特で大阪市の無形文化財に指定されている。催太鼓の特徴は「からうす」である。からうすは催太鼓の太鼓台の下に丸太を挟み、その丸太を軸にしてシーソーのように揺らしながら太鼓を叩く豪快な技である。縦に揺れる縦からうすと横に揺れる横からうすがある。願人は落とされないように縄にしがみつきながら太鼓を叩くが、この時でも投げ頭巾が落ちないようにしなければならない。


    [ 御迎人形 ]
    御迎人形は元禄期に祭の前に町内に飾られ、祭になると船に高\xA1 $/?M7A$r7G$2$F?@Nn$r7^$($?$3$H$,;O$^$j$H$5$l$F$$$k!#Ev;~$N?M7A$O2メートルほどであったが、享保年間の人形芝居の隆盛により4メートル以上ある大型の御迎人形も製作されるようになった。弘化三年の『天満宮御神事御迎舩人形図会』によると44体あったが、維新や戦禍で多くが焼けてしまい15体になった(うち14体は大阪府有形民俗文化財)。御迎人形の多くは歌舞伎や能物を題材としており、他には豊臣秀吉|羽柴秀吉や金太郎|坂田公時、関羽など和漢の歴史や物語の人物が多い。天神橋筋商店街の天神橋筋2丁目アーケードに御迎人形をモティーフにした人形を見ることが出来る。御迎人形の逸話として文政7年に御迎人形の信太妻|阿部保名に恋をした天満青物市場の娘さわの話が残っている。残っている15体は船渡御の御迎人形船には飾られないが、天神祭の期間中数体が展示され、又船渡御では、復刻した千成瓢箪を載せた千成船と猿田彦を載せた甲冑船の二隻が人形船講によって列外船として渡御する。


    [ どんどこ船 ]

    どんどこ船の起源は前述の御迎人形をかざった船から来ている。元々は伝馬船を使っていたため伝馬ともてんまとも呼ばれる。名前の由来はどんどこと音をかき鳴らしながら進む姿から来ているとされている。鉦太鼓に合わせて28人の漕ぎ手が一斉に櫂を漕いで進む姿は勇壮である。どんどこ船は陸渡御には参加せずに大川を下り祭の開催を知らせる役目を担っている。船渡御になると列外船の一つとして祭を盛り上げる役目を担う。


    [ 龍踊り ]

    天神祭の龍踊りは長崎(“ジャおどり”と発音)・長崎新地中華街|中華街や神戸市|神戸・南京町の春節祭での複数人で龍の人形を操って踊るそれとは異なり、龍が天に昇るさまを模して踊る。踊り手が指を曲げ、手や体をくねらせて昇竜を表現しているのが特徴である。宵宮では地車講によって地車囃子の太鼓と鉦にあわせて踊る姿を境内で終日見ることが出来る。また、船渡御では市民奉拝船や協賛団体の奉拝船の船上で踊っている姿を見ることも出来る。なお、長柄流と呼ばれる地車囃子では、「運をつく」という地車踊りがなされており、龍踊りとは異質なものと考えてもよかろう。天神祭以外でも、大阪市内の杭全神社、長柄八幡宮、桑津天神社、旭区清水の八幡大神宮などや、豊中市の服部天神宮などの神社のだんじり祭などでさかんに踊られている。また、ほかには梅田近辺での路上パフォーマンスなどで見かけることが出来る。なお、長柄八幡宮や服部天神宮での踊りは、龍踊りではない。


    [ 大阪締め(手打ち) ]

    大阪でよく使われる手締めの一種で元々生国魂神社に伝わる五節からなる大阪締め(手打ち)が省略されて三節になって使われている。三節目が「よぉやさの」、「よーいとさ」や、「商売繁盛」になる場合もあるが天神祭で使われる大阪締め(手打ち)は下記のスタイルが一般的である。打ちましょ(パン、パン)もひとつ(もうひとつ)せぇ(パン、パン)いおうて(祝うて)三度(パ、パン、パン)天神祭開催中は大阪締め(手打ち)はいろいろな場面、場所で使われるため、聞く機会の多い節回しであり、奉拝船同士や列外船と行き違う際に大阪締め(手打ち)を交わすため、奉拝船に乗船の際は練習を行う。なお、大阪締めという表現に、反論が少なくないことを追記しておきたい。そもそも大坂は商都であり、侍の都市・江戸で忌避されていた「手打ち」という表現には抵抗がなかったとする説がある。よって「手打ち」、もしくは「上方手打ち」「大阪手打ち」とするほうが無難と唱える人が多い。どちらが正解かは不明であるが、マス・メ\xA1 %G%#%"$rDL$8$F!VBg:eDy$a!W$,9-$^$C$?$h$&$J$N$G!"N&EO8f$r!H%*%+$H$.$g!I$G$O$J$/!H%j%/$H$.$g!I$H4V0c$$$rJ?5$$G8@$&%a%G%#%"$N?.MQEY$O9b$/$O$J$/!"Bg:e$N3FCO$C$F!V

    [ ギャルみこし ]

    で使われるだんじり(天満駅前にて撮影)

  • 毎年7月23日(宵宮の前日)に行われている。第1回は1981年で、地域文化の発展・振興と地域の活性化の一貫として天神橋筋商店街の四町会、四番街、天四北商店街、天五商店街、天六商店街の各商店街団体が中心となって企画された。

  • 1981年は認められなかった天満宮の参拝が第2回の1982年から御羽車講巡行の一環として行われるようになった。

  • 毎年担ぎ手はオーディション(満16歳〜28歳の女性、70名)で募集する。オーディションでは参加者それぞれの得意とするかくし芸を面接審査で行って人選し、その中から優秀者は「ミス天神橋」(1名)「準ミス天神橋」(2名)として表彰し海外旅行が贈呈される。2006年は、担ぎ手の年齢制限が撤廃された。

  • また、ギャルみこしの担ぎ手に選ばれたメンバーはこの他に大阪市の各種公共イベント等に出席したり、海外姉妹都市等への招待を受けて演技することもある。

  • 2005年は第25回記念大会として、将来を担う子供たちと過去にギャルみこしを経験した母親との親子が参加する企画も行われた。



    参考資料


  • 井野辺潔、網干毅編『天神祭-なにわの響き』創元社 1994 ISBN 4-422-70071-5

  • 米山俊直、河内厚郎編著『天神祭-水の都・千年の祭』東方出版 1994 ISBN 4-88591-394-2





    外部リンク


  • 天神祭

  • とことん天神祭

  • 大阪天満宮文化研究所

  • 天神祭ギャルみこし

  • 天神祭動画(yosanet 全国お祭りチャンネル)



    関連項目


  • 天満宮

  • 大阪天満宮
    天満
    旧淀川
    日本三大一覧

  • 上野天神祭


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    2008年07月07日

    年中行事[灌仏会]

    日本の年中行事灌仏会


    灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生を祝う行事である。毎年4月8日に行われる。釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が4月8日 (旧暦)|旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)の別名もある。釈迦誕生の時に、龍が天から飛来して、香湯(ソーマ、アムリタ)をそそいだという故事に基づくものである。本来は旧暦で行われるものであるが、日本では近年は新暦で、又は、それに近い日曜日に行われることが多くなってきている。韓国では現在でも旧暦で行われており、「釈迦誕生日」として法定祝日となっている。これはクリスマスが法定祝日となっていることから、一つの宗教だけを特別扱いしないための配慮である。仏誕に関しては、2月8日 (旧暦)|2月8日(インド暦第二の月・ヴェサーカ)説もある。



    風習

    日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。宗派に関係なくどの寺院でも行う(但し釈迦を本仏としない富士門流(日蓮正宗等)は除く)。甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもする。南伝仏教や蔵伝仏教では5月頃に行うウェーサク祭やサガダワ祭が灌仏会に相当する。一方、日蓮正宗では日蓮の誕生日にあたる2月16日に「御誕生会」が行われ、大石寺では御影堂での法要の後、五重塔で御塔開きのお経が行われる。なお、花まつりの名称は、明治時代に浄土宗で採用された呼称で、それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。お寺が経営している幼稚園や保育園では、こちらの名称の方がよく知られている。子どもたちにとっては、甘茶をいただく日。又、稚児行列を出す寺も多い。失敗して物をダメにする事を「お\xA1 $7$c$+$K$J$k!W$HI=8=$9$k$,!"$3$l$O灌仏会に因むものである。江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍ってダメにしてしまった金物に対して、江戸っ子訛りで「しがつよかった(火が強かった)」=「四月八日だ」=釈迦の誕生日、というつながりで成立したとされる。



    稚児行列が登場する花まつり


  • 北海道

  • 東北

  • 北関東
    4月8日:龍光寺(富岡市)
    5月5日:永源寺(坂戸市、遊女#おいらん道中|おいらん道中も登場)
    5月5日:大光院(太田市)
    5月8日:光泉寺(草津町、手古舞も登場)

  • 南関東
    4月上旬:護国寺(文京区)

  • 甲信越

  • 東海

  • 北陸

  • 京都府

  • その他の関西

  • 中国・四国

  • 九州



    関連項目


  • 花祭り -- 愛知県三河地方山間部で行われる霜月神楽の別名

  • お会式

  • お十夜



    参考文献

    片茂永「花祭りの創出・軍国調・衰弱」『文明21』第13号,愛知大学国際コミュニケーション学部,2004年.片茂永『初八日民俗論』民俗苑(ソウル),2002年.



    外部リンク



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    2008年07月06日

    年中行事[鏡餅]

    日本の年中行事鏡餅


    鏡餅(かがみもち)とは、正月などに神仏に供える円くて平たい餅のことである。大小2つの餅を重ねて供える。地域によっては餅を三枚重ねたり、二段の片方を紅く着色して縁起が良いとされる紅白としたもの、餅の替わりに砂糖で形作ったもの、細長く伸ばしたものを渦巻状に丸め、とぐろを巻いた白蛇に見立てたものなど様々なバリエーションが存在する。鏡餅という名称は、昔の鏡の形に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われる。鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降のことである。武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を供えた。鏡餅には、ユズリハ|譲葉・熨斗! |熨斗鮑・海老・昆布・ダイダイ|橙などを載せるのが通例となり、これは具足餅(武家餅)と呼ばれた。今日では、三方 (神道)|三方に半紙を敷き、その上に裏白(うらじろ、シダ|羊歯)を載せ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しするめ・橙・昆布を飾るようになっている。近年は、家庭内に飾ることの利便性と、後で食べる際の衛生面を考えて、鏡餅が重なった姿を型取ったプラスチックの容器に充填した餅や、同様の容器に(個別包装された)小さな餅を多数入れ、プラスチック製の橙などとセットにした商品に人気が集まっている。



    鏡餅に関する風習



    [ 飾り始める時期 ]
    *鏡餅を飾るのは12月28日が最\xA1 E,$H$5$l$k!#!VH,!W$,Kv9-$,$j$GF|K\$G$ONI$$?t;z$H$5$l$F$$$k$+$i! $G$"$k!# Bg0B!J12月31日を除く)を選んで供える地域もある。
    12月29日は、日本では「九」が苦しむにつながるので避けるべきとされる(逆に29を『福』と読み替えて、この日に餅を搗く地域も有る)。
    12月30日はきりの良い数字なので悪くないと考えられている(ただし、旧暦では12月は30日までしかなかった為、旧暦通りならば『一夜餅』の扱いである)。
    12月31日に飾るのは、「誠意に欠ける」「葬儀の飾り方を連想する」などの理由により、「一夜飾り」「一夜餅」として忌避される。

  • 浄土真宗では、尊前に鏡餅を供える。正月(修正会)の荘厳として供える為、12月31日の朝の勤行のあと、夕の勤行までに飾る。大安などの暦注や語呂合わせによる日の吉凶に惑わされないという教義に基づく。三方ではなく、折敷(おしき)に白紙を敷いて飾る。本尊前は、三重の鏡餅が正式。


    [ 鏡開きの日 ]
    *鏡開きの日は地域によって違いはあるが、一般的には1月11日とされる。それまでは飾り続けた状態でよいと考えられている。
    供え終わったときに木槌などで砕き割り、汁粉などに加工して食べる風習がある。
    神様に供えたものであるので、包丁などで「切る」行為は礼を欠き、縁起が悪いとされる。

  • 浄土真宗では、修正会(在家の場合は、1月1日〜3日)後の1月4日朝の勤行後に下げ、汁粉などにして食べる。上記のような縁起を担ぐ事は行わない。




    鏡餅を製造する会社
    鏡餅は、各地の米店や和菓子店で製造・販売される他、流通経路を介してスーパーマーケット等でも販売されている。

  • 越後製菓株式会社

  • 佐藤食品工業 (新潟県)|佐藤食品工業株式会社

  • 株式会社六星

  • 株式会社きむら食品

  • 城北麺工株式会社



    外部リンク
    * 日本鏡餅組合



    参考文献
    * 真宗大谷派式務部 監修、菊池祐恭 著『お内仏のお給仕と心得』真宗大谷派宗務所出版部、1991年改訂。ISBN 4-8341-0067-7


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    2008年07月05日

    年中行事[門松]

    日本の年中行事門松


    門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる一対になった松や竹の飾りのこと。松飾りとも。古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依代という意味合いがある。地域の言い伝えにより松を使わない所もある。




    飾り付け

    現在の門松は中心の竹が目立つが、その本体は名前で解るとおり松である。
    もと、平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、現在も関西の旧家などでは門松の代わりに、玄関の両側に白い和紙で包んだ根が付いたままの小松(松の折枝は略式)が飾られているのはその流れを汲むものである。地方により門松の様式に差がある。関西では3本組の竹を中心に、前面にハボタン|葉牡丹(紅白)後方に長めの若松を添え、下部を竹で巻く。豪華になるとウメ|梅老木やナンテン|南天、クマザサ|熊笹やユズリハなどを添える。関東では、3本組の竹を中心に、周囲に短めの若松を配置し、下部をわらで巻くという形態が多い。竹の先端部の形状は、斜めに切った「そぎ」と、真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類がある。
    「そぎ」は徳川家康が始めたもので、徳川家康の生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、対戦相手の武田信玄に対して、次は斬るぞという念を込めたのが始まりという俗説がある。
    実際は武家が昔ながらの寸胴、庶民がそこから発展させた派手なそぎを好んだのが基らしい。



    設置期間

    12月の10日ごろに、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」をおこなう。これで、山から歳神様(歳徳神)を家に迎えるという説もある。早いところでは20日ごろから飾る。しかし、現代ではクリスマスなどのイベントもあるため、25日以降に設置される場合が多い。12月29日に飾るのは「二重苦」、また9の末日でもあるので?苦待つ」に通じ、12月31日に飾るのは「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、12月28日までに飾るか12月30日に飾るのが良い、とされている。
    飾る期間は、1月6日の夕方に片付けて、翌1月7日の「七日正月」を併せて7日までを「松の内」と呼ぶことが多いが、地域により1月15日の小正月まで飾るなど、さまざまである。



    入手

    生花店やホームセンター、造園業や工務店などで作られ、設置・撤去まで一括でおこなうサービスもある。
    これらのサービスでは、1対あたり1万〜5万円が相場であることが多い。(本式になるほどさらに値が張る)
    ちなみに、生花を利用するので、翌年に使い回しはできない。



    現況

    自然破壊や、設置期間の終了後にゴミになるなど環境問題などの関係や、藁など材料の入手難、集合住宅の発達など社会環境の変化などからか、画像の様な本格的な門松が設置されることは少なくなった。また、一般家庭用に小さな寄せ植え風の門松などが年末に店頭に並ぶようになったため、このタイプの門松を置く場合がある。さらに省略版として、枝振りのいい若松に、紅白や金銀の水引を蝶結びにし、門柱などに付ける方法もあり、手軽なことから多く使われる。商店でも、現状では1月2日に初売りを行う場合が多いためか、本格的な門松が置かれるのは大型百貨店やパチンコ|パチンコ店など一部の業種か、正月は無人に近くなる都心のオフィスビルなどに限られることが多い。スーパーマーケットなど多くの商店では「賀正」「謹賀新年」といった語と、新年のあいさつ文、門松や鶴、亀、日の出などの絵を印刷したポスターを張って済まされることが多い。元日も営業する場合、ポスターの貼付も省略されることもある。



    和歌

    門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」の歌は一休宗純|一休の作とされているが、一休と親交のあった遊女、地獄大夫が一休のために詠んだものとの説もある。



    起源説等

    新年に松を家に持ち帰る習慣は平安時代に中国から伝わり、室町時代に現在のように玄関の飾りとする様式が決まったという説がある。


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
    posted by タク at 04:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の年中行事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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